1人旅行 2日目 宮城から横浜へ
気仙沼2日目。
本日の日程
メインは震災の事を学ぶ
この旅行での1番の大切な日だ
旅に出ると決めてからすぐに宮城と思った。
あの日、私はリアルタイムでテレビのワイドショーをみていた。
子供会の会長をしていて、春休みの新入生歓迎会のお知らせを会員に一斉送信したあそ時に津波がきた。
忘れもしない。
書いていても涙が出る。
日本人なら実際の被災地を見ておかなくてはならない。
昨夜民宿のおじさんが、岩井崎の日の出もきれいと言っていた。
日の出は4時半ごろ。
起きれないかもしれないと緊張して眠れなかった。
東北の朝はまだ寒かった。
でも、不思議と嫌な寒さではなく、ピンと張り詰めた冷たい空気。
気持ち良ささえ感じる。
紫が爪じゃなく、真っピンクになってて驚いた。
まだ日は登ってなく、少し空が赤みがかってる。
少しづつ日が上がってくる。
その頃から漁師さんの船が出てくる。
ものすごく神秘的できれい。
日が上がると海に映って日の道ができてるみたいだった。
ここはすごくのんびりとした時間が流れてて落ち着く。
本当に津波で被害を受けたところなのか、こんなにもきれいなところなのに。
自然と涙が出てくる。
お腹が空いたからそろそろ帰ろう。
旅館の朝食は朝からしっかりしてる。
美味しい。
ご飯もおかわりした。
朝食を終えるといざ出発‼︎
琴平神社に無事終わって旅立つ事のお礼と報告に行った。
さて、この旅の1番の意味、
震災伝承館に行く。
行く間に海のそばの防潮堤を見上げる。
これだけあれば乗り越えないのか?
まだ低い?
防潮林も現在育成中、まだまだ役立ちそうにない。
震災から10年、もう10年ではなくまだ10年なんだ。
行く道すがらにも何もない。
荒れた平地に砂が山積みにされている。
海の側だし何も作れないのか?
それとも手が回らないのか?
歩けども歩けども何もない道。
テキサス?
途中慰霊碑があった。
防潮堤の上から見てみる。
こんなに高かったんだ。
いよいよ震災伝承館に着いた。
被害にあった高校を再利用されて、当時ぼそのままを保存してくれている。
3階なのに車が流れ込んできたとか信じられない。
こんなにも高いところまで津波がきたんだ。
車や家屋の大木、家の家財道具とかつれて。
校舎の4階まで津波はきたらしい。
屋上に逃げた先生方は気が気じゃなかったろう。
なんでもない毎日を送っていたここの生徒たち。
あっという間に街や自分の学校が波に呑まれて破壊されていく様を見るのは計り知れない絶望感と悲しみだったに違いない。
高校生だもの、家族はどうなったのか不安で仕方なかったろうね。
ふと外をみると、すぐ目の前に広がるパークゴルフを楽しむお年寄り。
ああ、お年寄りはたくましいな。
帰りにメッセージコーナーがあってメッセージを書いた。
さて、駅に向かって歩くか。
何人かの高校生が駅にいた。
この子たちは当時6歳とか7歳だったんだよなーって。
やっぱり震災からもう10年ではなくまだ10年しか経っていないんだよね。
また気仙沼の海と日の出を見にきたい。
さて、仙台駅に帰って牛タンを食べるかな。
次は弟に会いに横浜だ。
牛タン食べたらN 95マスクをしなければ。
『たんや善次郎』
硬い肉やー、牛ホルモンは美味しい。
牛タンとずんだ餅のお土産を持っていざ弟の家へ。
上野駅で新幹線を降りると一気に緊張感。
必要以上にアルコールでの手指消毒。
N 95もしっかりしてるとはいえ、コビット怖い。
上野駅から電車に乗る。
人が多いな……
品川辺りからさらに人が増える。
若い子らは鼻を出している。
めちゃくちゃ密。
おまけに集団で大声でしゃべくり倒している。
やっぱりここらの子はモラルが欠如しているらしい。
人口が多いからそういう輩に当たる確率も高いのか。
人口が多いから徹底できないのか。
ふと横を守ると高齢者が立っている。
目の前には中学生。
東京は本当に腐ったところだな。
こんなところで生活できんわ。
3年ぶりに再開する弟はさらに太っていた。
嫁の「お姉ちゃん」と呼ぶのにどうも慣れない。
やっと5歳になった姪。
ここの家族はみんなが幸せそう。
オモテナシを受けてありがたい。
弟とも親の話がしっかりできた。
これで安心。
LINEをする。
無事弟のところに着いたよって。
2日目の夜終了。